坂出人工土地
設計: 大高正人
所在地: 香川県坂出市
竣工年: 1968年(第1期工事)、1986年(第4期工事)



坂出人工土地(駐車場)坂出人工土地(住宅団地)
 

 坂出人工土地(清浜亀島住宅地区改良事業)は、当時の市長の言葉を借りれば「わが国で最初に人工地盤を設けた住宅団地」で、コンクリートの人工地盤(1ha)をつくることによって「都市空間を生み出しその空間を効率的に最大限に活用する」「自然の土地を立体的に利用する」ものです。


当時はまだ木造家屋が立ち並び瓦屋根の風景が美しい市街地に、がっちりした四角いコンクリート地盤がつくられ、そのうえに住宅団地が建設されました(住宅143戸、集会所、子どもの遊び場、緑地)。地上の、街路に面するところは商店街とし、一部に坂出市民ホールが入り、それ以外は駐車場に使われています。


 地上を自動車に、空中のコンクリート・デッキの上に歩行者のエリアを配置するという、そう、スミッソン夫妻の思想・手法の発展形が、ここに実現しているのです。スミッソン夫妻にとっては、「街路」は昔からヒューマン・アソシエーション、すなわち人と人の出会い・連帯・交歓の場であって、いつの時代にも無くてはならないものでした。だから、地上の道路が自動車に占められるならば、人は空中に住み、街路もまた空中につくられる。ゴールデン・レーン計画(1952年)、シェフィールド大学増築計画(53年)などに、その具体的な姿が示されました。


 ヨナ・フリードマンも、地上に広がる既存の都市を壊さずに、空中に新しい都市を建設することを提案しています。彼が最初に「空中都市」を発表するのは1959年のことで、「パリ空中都市」(1959年)、「チュ二ス空中都市」(1960年)と続きます。車に邪魔されずに安全に生活できる新しい町が、空中に建設されるのです。


 日本では、JR柏駅前のペデストリアン・デッキなども同じ系譜に属するものですが、「坂出人工土地」の第一期は1966年に着工して、2年弱で竣工します。設計者はメタボリズム・グループの一員、大高正人。世界の建築界で若手の建築家たちが議論していた空中都市のヴィジョンを、彼は十分に意識していたはずです。ただし、「坂出人工土地」の場合は、既存の木造住宅地を完全にクリアランスします。記録によれば、この土地には木造平屋125戸、木造2階33戸、耐火構造1戸、計159戸あったようで、その159戸を不良住宅128戸、良住宅27戸、住宅以外4戸と分類しています。すべてクリアランスして地上レベルを駐車場とし、その上に人工のコンクリート・デッキを建設します。そしてデッキ上に、歩道・広場・児童公園などのある住宅地を建設したわけです。人工土地全体で10,111、その内訳は住宅3,015、集会所160、児童公園678、住宅周囲の緑地1,561、広場歩道4,697となっています(単位はu)。


 何度も頓挫しかけながらも計画は実行されて、1980年頃(第4期)まで事業は進められました。


 現在訪れてみると、もはや木造家屋の甍の波は周囲からも消えてコンクリートビルが林立し、この人工土地のコンクリートの白さも目立たなくなっています。どこもかしこもコンクリート・ジャングルに変わってしまったのです。人工土地下の駐車場も、JRや高速道路の高架の下に見られる駐車場に似て、特段奇異に感じません。むしろ、周囲の雑然とした開発に比べれば、たしかに「有機的な都市空間」があるようにすら感じます。


 ただ、ずいぶん空き部屋が目立ちます。その理由は二つあって、一つ目は、当時の住宅団地はどこもそうでしたが、ここでも1戸の床面積が非常に狭いことです。それから、空き部屋化にはもう一つの理由が決定的に効いています。各住戸に風呂がないのです。周囲の住宅地には現在でも銭湯がありますが、人工土地上には銭湯すらないので、きわめて住みにくい。ベランダに仮設的な風呂を自前で増築している例も数戸あります。海外でも1920年代から建設された公共の集合住宅はどこも住戸内部が狭く、近年の補修工事をきっかけに隣り合う2戸を1戸にして、1戸あたりの延べ床面積を2倍にし、キッチン・風呂・トイレなどの設備を現代化しています。この市営住宅でも、思い切った改修案を採用しなければ、全面的に廃墟化が進むのではないでしょうか。


 「人工土地」、戦後に夢として現れたこの思想と手法を、再検討する時期に来ています。思い切った手を打って、一つの時代の記念碑として受け継いでゆく努力も必要でしょう。                           

(2009年8月19日記)
 

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