ナショナルギャラリー(日本)
設計: 黒川紀章 
所在地: 東京港区六本木
竣工年: 2000年(プロポーザル最優秀賞)〜2005年(予定)
          画像©黒川紀章都市建築設計事務所




 

 唯識から中間領域の思想へ 
 川向 「唯識」は黒川思想を理解するときにキーワードになる重要な言葉です。唯識とは何かをご説明くださいませんか。  
 黒川 私は自己流ですが、お茶をやります。家にお茶室がありまして、その名前が唯識庵、そして私の茶人としての名前が唯識庵空中です。赤坂のマンションの11階に住んでいて、そこに日本庭園を造って、お茶室がある。空中にお茶室があるので、そういう名前がつきました。
 唯識というのは、2世紀から4世紀にかけて形成され、インドのバスバンドゥ(世親)によって大成された世界で最も優れた哲学の一つです。われわれが勉強してきたアリストテレスからデカルト、カントに至るヨーロッパの近代をつくった革新的な哲学のスタンスは二元論です。善と悪の二元論、人間と自然の二元論、保守と革新の二元論、理性と感性の二元論、あらゆる二元論で世界が片付けられているわけです。私は、それは日本文化になじまないのではないかと思ったわけです。ヨーロッパのなんでも二元的にはっきり分けてしまう、人間を精神と肉体と分けてしまう、善と悪に分けてしまう、そういう簡単なやり方というのは、科学技術や経済を発展させるときは非常に役に立っているけれども、もう少し奥行きのある文化をつくるときには、善でも悪でもない、どちらでもない真ん中にあるもの、あるいは肉体でも精神でもない、その間に何かもやもやっとある、一番人間本来の、肉体と言っていいのか精神と言っていいのかわからないところにあるものが重要です。そこにこそ奥行きがあり、本質があるということを教えているのが、この唯識思想です。世の中のすべてのものの根源は分けることができなくて、サンスクリットでは阿頼耶識(あらやしき)といっていますが、その阿頼耶識あるいは識というものの中にすべてが含まれていると考える。善と悪も、精神と肉体も、ともに共生している。それに私は出合って、ああそうか、仏教の共生(ともいき)思想、いわゆる大乗仏教の基本的な哲学というのは、このインドの唯識思想から来たのだなと理解したわけです。だれもそう言っているわけではありませんが、それで唯識思想が、私の「共生の思想」の下敷きになっているわけです。  
 詳しくするにはとても時間がないので、きょうは哲学の話はしませんが、実は21世紀にものすごく求められていて、共生の思想がドイツへ行ってもアメリカへ行っても、ローマ法王からもメッセージをいただいているくらいですが、最先端の考えになっています。例えばダーウィンの理論に対してマーグリスというアメリカの生物学会の会長が、ダーウィンの自然淘汰という理論、あるいは適者生存という理論ではない新しい理論を、つい十数年前に唱えて、それが今では世界の標準になっています。それは「種は共生によって進化する」というものです。つまりダーウィンの進化論が、今はもうほとんど否定されて、マーグリスの共生進化論、あらゆる種は共生によって進化するという考え方に変わっている。  
 それから、デビット・ピートというイギリスの量子力学者は『シンクロニスティ』という本の中で、精神と肉体は同じものであるということを量 子力学的に解明している。シンクロニシティという言葉自体が世界中ではやっていますけれども、今まで精神と肉体を分けて考えてきた浅はかさに気がついて、その二つのかかわり合いのところに、実はものすごく奥行きの深い何か秘密がある、そこを探索していこうということを言っているのです。  

 建築で言えば、建築というのは自然と対立するもので、すごく頑丈なコンクリートの壁をつくって、外はエクステリアと呼び、中はインテリアと呼ぶ。でも、境界というのは、もっといい加減なものではないの、と。日本の建築がそうですけれども、外が突然内側になったり内が外になったり、縁側なんかそうです。そういう中間領域的なものを、私は40年間ずっと見てきたわけです。縁側に目をつけなさい、と。日本の建築の境界領域というのがいかにフラジャイルで、はっきりしていないか。そのはっきりしていないことによって、自然と建築、内と外がつながっていく。それを外か内か、壁ではっきり切るのは、これまでの二元的な世界です。
 すべてのものが、唯識思想あるいは共生の思想によって、新しい境地に到達している。大体、今の若い建築家が言っていることは殆ど、私が40年前に言っていることで、自分が発見したように思っているけれども、『共生の思想』を読むと、なんだ40年前から言われてしまっているんだ、と。隈研吾君がよく言います。「私の本を読んで、ものすごくつまらない、何もかも全部網張って言っているから、言うことがない」と。
 私は思いつきで言っているのではなくて、機械の時代から生命の時代に変わっていくぞと言ってきましたが、それは予言です。必然的に、そう変わらざるを得ない。その変化が、実際に明らかになってきた。私が「エコロジー」と最初に言ったときには、誰もエコロジーなんて言っている人はいなかったし、「情報」もそうだし「リサイクル」もそうだし、「メタボリズム」もそうです。それは私が発明したものでもなんでもなくて、機械の時代、二元論の時代とは違う生命の、共生の時代がくるという予測が根底にあって、その予測が正しかったとすれば、21世紀の建築はそういう(エコロジー、情報、リサイクルなどの)方向へ行くと考えて間違いないです。  
 ただファッションで最近こういうのが流行っているとか、建築が成立する根拠は、そういうことではないと思います。シンガポールに建てるとき、カザフスタンに建てるとき、東京に建てるとき、どこへ行ってもコンクリートの打ち放しとか、どこへ行ってもひらひらした透明なものをつくるのは、建築のあり方として正しくない。その場所の文脈があるし、その場所の文化があるし、その場所の気候がある。そこで使う材料も形態もすべてが柔軟に変わっていくはずです。しかし、奥にある見えない思想が、そういうものを大切にする新しい時代を、きちっとつかまえていれば、それは予言的な建築になる。流行を追うのではなくて、そういうふうに考えなければいけないと思います。

もう一度、「中間領域」を問う
 川向 唯識の識は意識の識ですが、この識というのは心とか・・・
 黒川 意識だけではない、もっと深いもの。物も環境も意識も全部含まれている。老荘の思想で言うと「玄」ですね。黒いどろどろしたものと考えたらいいかもしれません。唯識思想というのはヨーロッパのアリストテレスとかカントに匹敵する、すごく論理的に構築されている哲学です。
 川向 そのお考えを発展させると、例えば見えるもの、見えないものも同等に扱われていくわけですね。
 黒川 そうです。
 川向 そして非常に早い時期から情報とかエネルギーとか生命といったものにも注目されたのも、根源は一つということ、唯識思想でいう根源は一つというところから導き出されたのですか。
 黒川 根源は常に一つです。すべては、そこから出ている。
 川向 もう一つ、中間領域、中間体は、物ではなく、空虚でもない。それ自体が、なにか粒子のようなもので満たされている。それ自体が充実している。この考え方について、ご説明ください。
 黒川 これは特に日本人は、誰でも分かると思います。例えば、全く無の空間がある。無の空間というのは、何も物が入っていない倉庫なのかというと、決してそうではない。日本建築では、畳の空間があって、それが何の空間かと問われても、キッチンでもないしダイニングでもないしリビングでもない、はっきりした機能を持っていない。だが、空虚ではなくて、あらゆるものが詰め込まれた宇宙。だから昔から、それを「壺中」という言葉で表現してきた。壺の中に宇宙が入っている。お茶室の中には宇宙が入っている。ものすごく大きくてすごい密度のある空間がお茶室であるというふうに、中国人もそうだけれども、日本人も考えてきたわけです。
 だけど、住宅というものを、これは居間、これは寝室、これは玄関と非常にはっきりと機能的に分けて考えてきた欧米人の場合、これはなんでもないと言われると、そこで考えようがなくなる。彼らにとって、それはエンプティーという英語になります。空っぽ。『共生の思想』の中によく書いてあります。
 私は墨絵も描きます。書道もやりますが、筆を握ったときに、自分の描いている線は見ません。先生から教えてもらったのですが、線と線の間を見て書いています。書というのは文字ではないですから、線と線の間の何もない無のところが、どのくらい生き生きとものを言うかというふうに書く。
 川向 それは余白ということですか。
 黒川 余白のことです。
 川向 それが単なる空虚ではないと書いておられますね。
 黒川 ええ。それが空虚だったら「間」がないということですから、間抜けですよ。だから間があって、しかも、それが充実している。それが「中間領域」です。
 そこは情報が充満している。目に見えないけれども、そこの中に、情報がいっぱい詰まっている。だから、廊下は廊下ではなく、それは情報の空間です。道は単に道路ではない。生活の空間であり情報の空間である。情報の流れというものを繙いていくと建築ができるということを、私の『都市デザイン』というベストセラーになった紀伊國屋新書で、「情報の流れが建築をつくり都市をつくる」と書いています。
 川向 非常に早い段階から「情報」ということをおっしゃっています。
 黒川 40年前ですから。今の人がみんな同じようにそう言いますけれども、40年遅いという感じがします。

「道空間」「道の建築」−「中間領域」の例として
 川向 「道の建築」という概念は、すでに「農村都市計画」(1960年)の中で重要なキーワードとして使われていますね。
 黒川 そうですね。これには実は、ものすごい大論争がありました。私が『都市デザイン』の中で「西欧の都市に道はない。日本の都市には広場がない」という有名な文章を書きました。これは高校3年の現代語の教科書になっている文章ですが、それはある程度極端に言っています。イタリーにも魅力的な道があります。ヨーロッパにも、むろん道はあります。しかしイタリーのルネッサンスの道は、両側が煉瓦とか石の組積で、その空間がインテリアの空間と浸透し合っていない。
 特にミレトスの道は、非常に京都と似ているけれども、実は吉阪隆正先生が生きているときに私はよく早稲田で議論しましたが、あの道に関して当時(私が本を書いたとき)の文献に、ものすごくミレトスに裁判が多かったという文章が発見されて、それを手に入れて読んでみたら、ほとんど毎日何百人が有罪ですと書いてある。何をしたかというと、窓からゴミとか糞尿を捨てて、それが歩いている人にかかった。それで罰金いくらということです。だから道路がゴミ捨て場で排水路なんです。ゴミ捨て場で排水路ですから、人が集まって、立ち話をする場所ではない。
 川向 日本にも終戦後に、道路をゴミや汚れた空気・水を捨てる場所にする、公害・生活公害の時期がありましたけれども。
 黒川 でも昔はそうではなかった。中国から日本に来た都市計画が近世になって、例えば京都ですと、秀吉が「永代地子免除令」というのを出すことで変わっていく。中国の都市と同じように、この「永代地子免除令」の前の京都では、道路で囲まれたところを町(ちょう)あるいは丁(ちょう)と呼んでいた。それを対角線方向に4分割して、両面 町といいますが、こっち側の三角とこっち側の三角と、その真ん中の道をまとめて、1つの町(まち)にした。そうするとどうなったかというと、真ん中の道が自分たちの生活空間の外ではなくて中央にきた。しかも、「永代地子免除令」というのは、この部分はおまえたちにただで永久に貸してやるよということで、自分たちの共有財産になった。そこから両側に住む人が、この道を手入れし、生活空間にするようになった。日本の道が生活空間になって、ヨーロッパと全く違うものになったのは、このように近世以降です。もはや、ゴミを捨てるドブ川ではなくなった。それは秀吉の功績です。
 これらのことも、『共生の思想』に詳しく書いています。ですから、近世以降の日本の都市は、世界に冠たる特色を持っていて、広場なしで素晴らしい街づくりができている。日本の道は生活空間であって、実は建築である。それを「道空間」と呼び、単行本で丸善から『道空間』という本を出しました。それは建築と同じくらい密度の濃い建築的な内容をもっている空間だから、道と呼ぶのはかわいそう。だから「道空間」、あるいは「道の建築」と名付けたわけです。
 川向 今、学生たちの設計の中でも、建築空間を構成する要素として「道」という概念が非常によく使われます。それによって、建築の外部のみならず内部も、積極的に構成していこうとする。それが個々の空間を貫き、結びつけていきますが、個々の空間とどういう相互関係をもたせるかがポイントになります。廊下が単なる廊下ではなく、道が単なる道路ではないようにするには、どうすればいいか。さきほど、少しお触れになりましたが、この点はいかがでしょうか。
 黒川 広場というのは境界がはっきりしています。ここからここまで広場、と。道というのはつながっていくネットワークです。ですから常に周辺とどこまでも関係していけるわけです。広場が関係できるのはその周りに建っている建物だけです。非常に限られた限定的、古典的で、しかも永久の中心です。発展しようとすると広場は周りに建物が建っているから発展できないでしょう。できる方法というのは、別 に広場をつくっていくだけでしょう。
 川向 ヨーロッパはわざわざ、その広場の真ん中に銅像を建て、中心を強調しますね。あくまでも、中心に向かう、まさに求心的な空間です。
 黒川 都市が大きくなるとパリでもロンドンでも、小さな広場を周りにつくって、また次の広場をつくって成長していく。常に、広場を中心としてヒエラルキーがつくられる。そういう固定的な秩序ではなくて、道の場合はオープンエンド、その先が常に開かれているわけです。ですから、市が開かれる場合でも、道に沿って市が開かれる。それが八日市であったり廿日市であったり四日市であったり。しかも毎日、道の違う場所で市を開くことによって、都市全体が活性化できた。常に中心の広場で市をやっているのとは発想が全然違います。それが21世紀的なんです。だから、日本の伝統は21世紀型だと言っているのです。  

どう中間領域(道の建築)をつくるか
 川向 その中間領域、道の空間をテーマとする作品をご紹介ください。
 黒川 これは「西陣労働センター」(1962年)です。西陣の、細長い敷地に労働センターをつくってくださいとの依頼を受けて、それだったら、低層高密度で、細い路地をつくっていくように再開発できないかと考えて、路地の役割を重視して、そこで外部空間と内部空間がインタラクティブに関係するような建築を考えました。そして、それを「道の建築」あるいは「中間領域」と呼びました。これは確かに外部なんだけれども、非常に密度の高い建築で囲われているから建築である、と。
 他人がここをずっと通り抜けて行くことができる。そういうシステムを西陣に開発すれば、西陣全体の古いものを残しながら、細いところに1軒ずつ新しいものを挿入することによって、歩道のネットワークが作れるのではないか。これが西陣の再開発計画です。海外でも非常に大きく取り上げられたプロジェクトです。
 これも中間領域の一つですが、もし容積率が決まっているのなら、それをフルに使い、それ以上建てられない部分はくり抜いたらいいのではないか、そう考えてつくった「福岡銀行本店」(1975年)です。これは竹中工務店が設計・施工でやることになっていて、普通 の超高層建築の案でした。そこへたまたま私が頭取と知り合って、「超高層以外に何かないでしょうか」と言われて、「では、つくってみましょうか」というので、このコンセプトを作ったら、「これは面 白い」というので、これが実現しました。今から考えると、クライアントとの関係、施工に徹しましょうとおっしゃって設計の仕事を譲られた竹中の会長との関係、本当によき時代だったなと思います。これを私は、外部だけれども、密度としては非常に建築空間に近いものとして、「中間領域」と呼びました。なおかつ、私有地、銀行の土地ですが、一般 の人が自由に入って来ていいわけですから、私有空間でもあるのに公共空間でもある。ですから、そのどちらでもない非常に曖昧な空間、あるいは私的な空間と公的な空間の共生の空間を狙っています。
 いつもここに大勢の人が来て、読書したりしています。雨が当たらないので、名所の一つになっています。これはアトリウム的な空間の走りだったと思います。今はこういう考え方は世界中にありますが、その走りだったと思います。
 これは「京セラのホテル」(鹿児島、1995)ですが、ここが大きなアトリウムです。その両側に部屋があって、これも外部のような内部のような中間領域です。自然と建築が共生すると言っても、いろいろな戦略を使わないと、簡単にはできない。ここでは、透明だけれどもインテリアであるという空間をつくることによって、完全に空が入ってくる空間が実現できたわけです。
 同じ考え方で、ここに、中間領域をつくっています。これは今、六本木に工事している「ナショナルギャラリー」ですが、25mの高さの大きな空間があって、そのこちら側には2000平方メートルのモジュールの展示室が七つ、機械のように並んでいます。そして、2時間で内部の展示替えが全部できるように、数百台のトラックがやって来て作業ができる非常にハイテクなメカニズムをもっています。しかし、正面 側は、嘘のように伸びやかな中間領域になっています。  
 これは全部透明なガラスです。それでこちら方向(内側)にカーブしているだけでなく、こちら(外側)方向にもカーブしています。現在、地下がそろそろ終わりつつあるところまで工事が進んでいます。その中に、逆さのコーンがあって、この上がレストランになったりカフェになったり正面 の入口になっていたりします。このコーンがあるところで、膨らむわけです。床面 積に限度があるものですから、床面積を変えずに膨らませて面積を稼ごうという、ちょっとずるい考え方ですね。
 この透明なファサードがどうなっているかというと、柱のない大空間です。その代わりに、無垢の鉄のマリオンがあって、そこから腕を出して、腕の先にボルトで透明のルーバーを横に留めています。ここをアールでカットすることによって、アールのファサードかできます。このガラスは直線で、ファサードはこう曲がっていきます。このマリオンは、非常にスレンダーな柱でもあって、それを横で持たせているのがトラスです。トラスの上にウエッジングがあって、ここがメンテナンス用のラダーになっています。構造とマリオンとメンテナンス用のラダーがすべて、一番シンプルな形で統合されています。
 内側から見ると、これがメンテナンス用のラダーです。ここは透明なガラスで、これがマリオン兼ストラクチャーです。その向こう側に透明なガラスのルーバーがついている。このガラスは特殊なガラスで、紫外線などをほぼ100%吸収しています。 その後ろには、柱のないものすごい大空間が広がっています。

(2003年7月5日掲載、文責:川向)

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