古河総合公園パーク・カフェ
設計:妹島和世
所在地:茨城県古河市総合公園内
竣工年:1998年





 

 妹島は、ニュートラルな立体格子を現実に空間化する点において、ル・コルビュジエ以上の「抽象」「強度」を達成しているのではないか。可能な限り薄い面 と、可能な限り細い線にまで還元された部材を組み立てることによって誕生した空間・建築が、浮遊感をもって、軽やかにそこにある。しかし、それは、脆弱ではなくて強い。そのなかを風が通 り抜け、視線が通って背景の自然とも融合しあいながら、さわやかに、かつ確かに、そこに存在している。
 彼女は、自らの目指す建築のあり方を、よく「ヒエラルキーがないこと、つまり、すべてが等価であること」「プラン、ディテール、材料において、序列がないこと」「構造と間仕切り、構造と仕上げを同列に、等価なものと考えること」と表現する。つまり、建築あるいは空間を構成する要素のすべてに、「ヒエラルキーがないこと」すなわち「等価であること」を求めるのだが、このことを徹底していくと、屋根は切妻屋根とか寄棟屋根といった特有の建築形態のみならず、たとえ平屋根であっても最低限そなえていたパラペットや天井懐の厚みのようなものまで剥奪されて、最後は薄い1枚の板になってしまう。薄い平面 である。同じように、壁も、柱も、古典的なオーダーとか伝統的な納まりからくる特有の建築的・装飾的な形態を剥ぎ取られて、単なる面 、線にまで還元されていく。床も屋根も壁も、みな同じ面となり、柱、マリオン、あるいは垂直方向のガラス留めも、すべて同じ線になってしまう。ここまで徹底的に抽象化されたとき、確かに、構成要素間にヒエラルキーがなく、まったく等価でもある状態が発生する。そして、直線と平面 を垂直・水平に組み立てていけば、そこにニュートラルな3次元の立体格子が浮かび上がってくることにもなる。
 この建物は、公園のなかの「あずまや」と言ってよいであろう。「あずまや」とは、散策の途中で休憩する、あるいは雨や強い日差しを避けて、いっとき留まる場所である。屋根(庇)があり、腰掛けるイス・ベンチが用意され、ほかには小さなテーブルが置かれることもある。すこし大きいものになれば、カフェがその一角を占める。ここでも、カフェを備えて、「パーク・カフェ」と呼ばれている。「あずまや」は公園のなかでは、その存在が分かるように多少目立たねばならないが、目立ちすぎてもよくない。公園の風景に溶け込み、同時に、その周囲をさわやかに、晴れやかにもする。「パーク・カフェ」は、まさにそういう建築である。
 全体は、長軸を東西方向に置いた直方体のヴォリュームである。25.2m×10.4mのフラットで薄い屋根と床、その間に100本ほどの直径60.5mmの細いスチール製円柱がグリッド状(ピッチは心々で1200mm)に立てられている。円柱は、高さは約3mで、床のスラブ(地上に見えている床は薄いが、厚さは270mmある)からのキャンティレバーによって自立している。ただし、この円柱は、グリッドの交点に必ずというわけではなく、189のうちのほぼ半分の交点にランダムに立てられている。その間の、ところどころに出てくる円柱のない場所は、柱に邪魔されない開放的な利用に欠かせない。そして、床も屋根も円柱もすべて白である。だから、この「パーク・カフェ」は直方体のヴォリュームの上面 と下面が白で、その両者を無数の白い線が結ぶという、ニュートラルで、抽象的な立体彫刻のように見えるのである。
 われわれの印象を決定的に支配するのは、この抽象的な立体彫刻を思わせる形態であり空間である。これを鮮明に見せる目的のために、その他の構造と材料に関するすべての問題が処理されたといっても過言ではない。
 たとえば、薄い屋根スラブをどうつくり、細い円柱をどう立てて、屋根スラブとどう接合するかと考えなければならなかった。いくら多くても細い円柱だけでは、建物はもたない。よく見ると、4箇所にバランスよく、水平力を負担する78×1260mmの耐震壁が配されている。だが、その表面 にはステンレススチール板が張られて鏡面に仕上げられ、周囲のさまざまな風景を映して、それ自体の壁としての重い物質性を、その存在そのものを、消そうとしている。
 また、さらに目を凝らすと、ガラスのウォールとスライディング・ドアで四周をかこまれた正方形プランのカフェが、林立する円柱群のなかに設けられていることに気づくであろう。とくに冬風の冷たく厳しいところで、カフェは室内化する必要があった。この正方形は、東側に偏在させて、東側に狭いオープン・テラス、西側に広いオープン・テラスをとっている。温かくなれば、スライディング・ドアを開放して、全体をオープン・カフェとして使うことも可能だ。囲い込みのためのガラスの壁は、まさに必要最小限の範囲で、その存在を認められているのである。     

(2003年3月11日記)

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